2012/2/25 〜 2012/3/4 INDIA TRIP

そういえば昨年の夏休みに訪れたトルコ旅行記もまだ書いていないなぁと思ってるうちに次の国であるインドを旅してきました。いろいろな人に言われたのは、なぜインド?ということ。なぜだろう。自分でよくよく反芻して考えても明確な答えは浮かんでこない。でもトルコを自分一人で旅して、なんて世界は素晴らしいのだろうかってことを感じた。もちろん楽しいことばかりでは無くて裏側もあるけれど、単純に自らの目で見てみたい、知りたいという自己欲求が高まってきたからというのが大きい。何事も自分のお金を使って知り得た情報や経験なるものは必ず自己生成の貴重な財産となる。安藤忠雄もおばに言われていたように「若いうちは自己投資せよ」と。ある意味では山登りに似ている。自己満足。自己陶酔。おそらく実際に行ったことの無い人がその感覚を享受するのは難しいし、伝えるのも難しい。言葉は1つのツールであって、人間の五感に及ぶものではないから。

コスタリカ産のコーヒーを飲みながら書いております。バックミュージックはコルトレーン。最近手網を使った自家焙煎を始めたので楽しくて仕方が無い。ドミニカ産の豆も好きです。自分には中米産のコーヒー豆が合っているのかなと。うーむ。しかし奥深い。

  • 1日目 2/25

出発の日は朝から冷たい雨がみだれて、日本らしさを感じつつこれから降り立つであろう乾季のかの地を思う。


今回はエアインディアの直行便を使用。フライト時間は12時間ほど。着くのはインド時間で19時頃の予定だから、暗い中で宿探しからスタート。機内でめぼしい宿をチェック。ドリンクはCarlsberg(デンマーク産?)のビールをもらう。なぜか頼んでもないのに2本出されたのでありがたく頂戴した。昼食は早速インドカレーの洗礼が。チキンカレーと豆カレーのハイブリッド。悪くない。行きの機内ではヘミングウェイ老人と海を読みきった。寂しい世界だがそこには救いがある。全体に漂う雰囲気がとても好きだ。
インド上空に入ると機体の左手に沈まない夕日が真っ赤に染まっていた。ぼんやりと眺めていながら、やがて落ちていく太陽の陽を思った。夕闇が静かに上方から押し寄せてきて深青色と橙色とが入り混じり、小さな点はほどなくして闇の中に拡散していった。



ガーンディー空港着。涅槃を感じた。入国審査へ、、まぁ時間のかかること、、1時間くらいは並んでいたな。入国印をボン!と押してもらいようやくゲートへ。あれ?人が押し寄せてこない・・・、そして空港がすごくきれい。うーむ。さて外に出ます。少し緊張しつつ出てみると、ここでも人が少ない。タクシーは待っているけれど。カレー臭もせず。うーむ?とりあえずメトロへ。日本のメトロより近代的で驚いた。周りはインド人だらけ。空港からニューデリー駅へ向かいます。車窓からは高速道路を流れる大量の車のヘッドライトとテールランプが目に飛び込んでくる。



ニューデリー駅に着いて外へ足を踏み出すと・・・ここぞインドの中心。えもいわれぬ臭いと人人人。クラクションの鳴り止まない町。犬がホームに歩いている。人糞らしきものもホームに(どうやって?)。ボク以上に色黒い。頭の上にどでかい荷物を載せて歩いている人がいる。物乞いがいる。片足の無い人。そこらに寝ている人。軍人らしき銃を持っている男たち。東の空には昇りたての上弦の月が見下ろしていた。


さてこんな状況の中、まずは宿探し。目的地はオールドデリーの安宿街。夜はマーケットもにぎやかで人の出足も多い。裏路地は少し怪しい雰囲気。"SINGH RESIDENCE"というところに落ち着く。400ルピー。一人部屋。インドはあまりドミトリーは無いみたいだ。部屋の鍵は無くて、上と真ん中にストッパーのようなものがあるだけ。さすが。シャワーは水のみ。インドもこの時期は夜が冷え込むため夜のシャワーはきつい。トイレは水洗だが、例の手桶仕様。先端を行ってます、、 初日からタフだ。腹が減ったので早速インドカレーを食べに。町の食堂というか屋台?キケンなニオイが。。びびっても仕方ないのでオッサンに声を掛けてカレーくれ、と。出てきたのはベジカレー。


この豆カレーはうまいと言い難い味であった。。そしてこれがあの苦しみの起点となったのは間違いない・・・

  • 2日目 2/26

朝6時起床。けっこうぐっすり熟睡できた。体は・・・うむ、かゆくない。南京虫も蚊も出くわしていない様子。昨晩はロビーで1時すぎまでインド人の笑い声が聞こえてきていたが朝はしんと静まり返っていた。朝から鉄道のチケット予約をしようと考えてたのでパッキングをして7時頃出発。夜には分からなかったマーケットの様子が見えてきた。少し肌寒いが寒すぎることはなくてシャツ1枚で充分。通りのニオイは相変わらず鼻腔を突いてきますが、、朝の散歩でも。


チャイを1杯/10ルピー。チャイ屋の屋台前にインド人がたむろしていたので雑談。
インド人 おい、お前今日はどこへいくんだ?
ボク 鉄道のチケットを取りにいくんだ
インド人 おいおい、この時期はとても混んでいてチケット取れないぜ?
・・・いや、これはインド人のウソに違いない!と思いつつチャイを味わう。空腹に甘く煮込まれた紅茶としょうがの味がしみてきます。紅茶の渋が3年分くらいこびりついた鍋で大量の茶葉としょうがを煮込み、チャイ用のカップに高い位置からジャーと注いでもらう。これで冷ます効果もあるみたい。


路上に初めての牛が。道路の真ん中を闊歩していても、クルマがどんなにクラクションを鳴らそうともゆっくり、ゆっくり、のそ、のそと歩いていく。神聖な動物なのだよね?


にしても町はゴミに溢れていた。ペッドボトル、空き缶、菓子袋、タバコ、サンダル?、やら道の端に丘のように詰まれていて、でも店の前はきれいにしようと店主が必死に掃いていたのが印象的だった。ゴミ問題は現在〜今後は発展に従いさらなる深刻な問題となっていくことだろう。彼らはそれさえも全て受け入れてしまうのであろうが。
ニューデリー駅へ向かう。昨夜と変わらず大量の荷物を背負った人や駅前で寝ている人も多い。さてさて、外国人専用のチケットオフィスがあるというニューデリー駅の2Fへ行こうとすると・・・
インド人 ヘイ!ジャパニ!何処へ行くんだ?
ボク いやチケットを買いに2Fへ行くんだよ
インド人 今日はクローズドだ。買えないからおれと一緒にこい。買ってやるよ。
ボク いや8時にオープンだから待ってるからいいよ。ノーサンキュー
インド人 ヘイ、カモン。こっちこいよ〜
と、いきなり洗礼が。普通に振り切って2Fへ。8時前にもかかわらず10人くらいが列を成していた。しばらく待っているとオッサンが鍵を空けにきてオープン。まずどう買えば良いか分からない。中央の柱にある申し込み書?をみんな取っていたので、習ってゲット。ああ、ここへ行き先とかを記入するのね。目的は明日のアーグラ行きを予約するため。よく分からない部分は隣のフランス人?のオッサンに聞いて記入。イラン人やインド人やらあとは観光客が多かった。窓口は5人で担当。日本人らしき旅行者もちらほら。1時間ほど待ってようやく順番。アーグラまで取ってくださいな! ガチャガチャパソコンを操作して確認してもらうと、明日の朝イチは満席みたい。結局10時の電車を予約することができた。ほっと一息。
本日はオールドデリーをメインに散策することに。リキシャーを使って回ることも考えたけど、街を散策したかったので歩いてジャマーマスジットへ。路地が入り組んでいて迷ったあげく30分ほどしてようやく到着。やはり海外は歩いてこそ感じるべくものがあるものだ。ヤギやにわとりや犬が闊歩し、人間の生活の一部となり、渾然たるインドを形成している。


ミナーレの上から。デリーの町並みが一望できて、東にはラールキラーが聳え立っていた。街は高さ違いの積み木を重ねて、並べたように見果てる先まで続いていた。



ジャマーマスジットを離れると、巨大な蚤の市が。服やおもちゃ、布、果物、スパイス、木の実?やジャンク屋、なんでもあり。



ラールキラー内のお土産屋さんの仮面たち。ステキだ。


ラールキラー正門。巨大。20m以上あるんじゃないか?皇帝の要塞を誇っただけある。中をぶらっと。石造りの謁見の間等、かなり見ごたえ有り。壁の細かい装飾と大理石を豪奢に使用し、当時の権力を象徴する立派な宮殿だった。
ラールキラーを離れて、メトロに乗るため街で戻る。車・リキシャー・バイク・人・自転車が道を往来し、クラクションが鳴りっぱなし。大気はほこりにまみれているが、なぜか居心地の良さを感じる。いやこれは頭が麻痺してきたせいか。


ニューデリーへ戻ってきました。チキンマサラカレーを食す。少し休んでからコンノートプレイスとインド門へ。なんだか体がだるくなってきたのは気のせいか・・・




ホテルは「HOTEL VISHAL」へ。500ルピー。部屋は・・・まぁ寝れれば良いか!しかし部屋のドアの上部がなぜツーツーなんだ・・・?蚊とかいろいろ入ってくるでしょうが、、


つっこみを入れつつ、夜の街へ。夕飯はGreen Chillにてチキンマサラカレーをば。キングフィッシャービールが沁みるほどうまい。上等なレストラン。満腹で300ルピーくらい。


ホテルの屋上へ出ると、疲れと酔いでほてった頬に夜風が心地いい。昨夜と同じように東の空から南の空へ場所を移した上弦の月は言葉なく浮かび、霞んだ大気に揺られるようにボクの心も揺さぶられていた。

  • 3日目 2/27

zzZzZZ。ジャーザバー  ん?んん?給湯器の配管から湯が噴出。隣の部屋かと思っていたら、ボクの部屋でした。やけに蒸していると思った・・・気付いたのが朝だったからパッキングしてから早々にフロントへ。あとは頼んだ!
外へ踏み出すと昨日より人が多い気がする。あ、そうか。本日は月曜だね。チャイ屋は変わらず朝のひと時を作り、登校するバンに乗った子供たち。濃紺のブレザーと帽子をかぶり、外をキョロキョロ。マーケットの様子はどのように捉えているのだろうか。リキシャーが走りその後ろを犬が駆けていく。そして、バンはけたたましくクラクションを鳴らし、子供たちを送り届けていく。ああ生きている。今日という日は街や人々にとってはいつもと変わらない日常であって、自分がここにいようがいまいが、変わらない。
鉄道の時間は10時だったので、この先の鉄道のチケットを予約することに。今回はデリー→コルカタまで陸路で移動し、帰りはコルカタ→デリーを飛んで、デリー→成田というスケジュール。なのでなんとかコルカタまで移動せねばならないのです。チケットは、Agra → Varanasi、Varanasi → Kolkata の寝台切符を買えると御の字。月曜はかなり込み合って、朝早く着いたつもりだったが既に20人ほど先客が。1時間ほどして自分の番です。昨日と同じ人や。頼みます! ・・・満席がほとんどであせってきた。何度も検索してもらい、Extra fee?を払ってなんとか両方とも入手完了。2Aでも安い。ほっと一息。命の次の次に大事なチケットなので財布に収納。既に9時を過ぎたので時間までホームで時間をつぶすことに。初めての鉄道なので、少し緊張。時間通りくるのか?カラスが線路の木枠にとまり、騒々しい声で鳴きたてる。インドのカラスもやはり黒く光り、鳴き声も変わらない。彼らの喧騒は耳を穿つサイレンであるかのようだ。線路は汚物やペットボトル、ビニール、鳥の死骸、水がじゃぶじゃぶ溢れて流れていた。平然と線路をまたいで渡る母と娘。日常。耳を澄ませよう。
目の前には、5歳ほどの男の子が米のポップコーンのような食べ物が入った袋へ手をいっぱいに突っ込み、口元へほおばっていた。隣には父親が座り込み、どこかとも分からない方向を見据えていた。逆の隣には、母親と妹だろうか、ゴザの上に横たえていた。少年は地面にこぼれ落ちたものもかき集め、残らず口にいれる。ふと少年を目が合う。異国から来た日本人を彼は何と思うのだろうか。小さな一対の目の奥に潜む感情を読み取ることができない。体中に時計をぶら下げた商人が練り歩く。バクシーシをねだる女性が目の前を過ぎていく。

10:00頃、ほぼ定刻にJHEHUM Ex. がホームに着く。チケットへ車両Noが書いてあったので、20両近くある中から5両ほどすっとばしてそれらしき車両を発見。さて乗り込みますか!車内はエキゾチックなニオイが漂い異国の旅を実感させる。ホームはどこからそんなに運んできたのか、袈裟袋が何袋も下ろされていた。荷物を網棚へFIXし(チェーンにて)3時間ほどの鉄道の旅が始まります。梅棹忠雄の裏自伝を読みながら、黄色く変色した窓の向こうを見やり、石壁の家々や田園地帯がずっと広がっていた。そういえば朝から便がゆるくなってきたし、なんだか頭痛もする。。うーむ。
そしてAgra Cant駅へ到着です。降りると、デリーよりも暑い!以外と小さな駅。駅前のプリペイドタクシーにてMAYA HOTELへ。おそらくこの旅で最も高級であろうホテル。一泊なんと1500ルピー。高い! 部屋を案内してもらい、一息。北欧?をイメージした室内は清潔で広い。一人で泊まるにはもったいない。ここでバタンとしていると、やはりどうも熱がある気がしてきた。そして、突然のダイヤリーアが。3回連続。まずい・・・
しかしせっかくなのでタージマハルの裏側を見ようとタクシーに乗ってしまう。途中で河原で洗濯する人や闊歩するラクダを横目にタージの公園へ。200ルピー。


次にベイビータージと呼ばれる宮殿へ。


美しい鳥。


そしてMAYA HOTELへ帰還。ちょっと・・・これは、、3日目にしてついに本物のインドの洗礼が。楽しみにしていたレストランMAYAもスキップをせざるを得ない状況。発熱している。持ってきた抗生剤を飲みつつ、水をがぶ飲み。ああああ水分が勝手に出て行ってしまう。何も食べたくないし、食べれない。夜の7時くらいからウンウンと苦しみ、朝を迎えるのでした。。夜中にトイレへ行った回数 : 4回

  • 4日目 2/28

カーテンの向こうが白み始めている。意識がまどろむ中でただそれだけが分かる。何度も起きたせいで完全に寝不足。カーテンを開けに立つと腸に重力がかかり苦しい。朝6時の外気は澄み切っているとは言えないが、静かに木綿の布を撫でているような心地がする。Tシャツで出るとひやりとする。空は薄い灰白色をした雲におおわれていた。7時に出発しようとするが動いたらまずい気がしたのでしばし休憩。3日という時間差を超えてやってくる菌達は、なんてたくましいのだろう、、昨日からほとんど食べていないので空腹。唯一安心できる袋詰めのビスケットをかじってかろうじて空腹を繋ぐ。苦しい。
8時になりようやく出発。本日は世界一美しいと言われるタージマハルとアーグラ城、その他を回る予定。MAYAからは歩いて15分くらい。通りの公園には猿たちが群れを成して生活していた。チケット代750ルピー。そしてタージはセキュリティがかなり厳しい。例のガイドブックにはIpodを没収されたと書いてあったが、まさかと信じていなかったのだけど、本当だった。前の欧米の旅行者が没収?預かり?されていた。ボクはというと、命のビスケットを没収。なぜ持ってきてしまったんだ(泣) 
いよいよタージへ。レンガ色をした正門がそびえ、外郭のヒンディー文字は全て大理石と黒色の石で成り立っていた。美しい。アーチを形づくる幾何学模様。門からタージの正面に立つ。


ちょうど噴水が噴出し始めたために、水面に写るタージが霞んでしまった。うーむ、残念。


白亜の建物はシャー・ジャハーンの后への限りない愛に満ち満ちている。伝説?では、対岸に黒いタージを築き、自らの墓標を画策し、いつまでも后を見つめあうよう夢を見ていたようだ。しかし、息子にアーグラ城へ軟禁され夢叶うことが無かった悲劇の墓碑でもある。

公園内にはグリーン色をしたオウムたちが頭上を飛び交っていた。


こんなに美しいタージマハルなのに腹痛が続いていたせいで、悲しいかな、感動が少なかった。。2時間ほど堪能してMAYAへ戻る。朝通ってきた公園に乗用ラクダが。でかい。そしてフンもでかい。足の長さはサラブレッドの2倍あるそう。
体調は最悪だけど、アーグラ城へ向かう。オートリキシャーをピックアップ。最初の交渉で80ルピー。ぼったくられてはいないと思う。体調が悪いので、もういいやと、言い値で乗って向かう。朝の陽にあぶられた砂埃も心地よく感じるとは・・・
チケット250ルピー。ザックは無料のクロークへデポ。・・・観光どころじゃあなく、さらに体調は悪化。喉がすごく渇くし、頭がくらくらする。日陰に座って風で涼む。シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔の向こうにタージマハルが見える。大気は霞んでぼおっと浮かぶタージを見ながら亡き后を思っていたのだろう。


もう観光する気力が失せてしまい、駅へ向かうことに。現時刻13時。鉄道の時間は23時。10時間もあるよ・・・。リキシャーをやとって駅へ。途中で食堂へ寄りたかったのだけど、こんな体調で断念。


マイベストピクト



駅の待合室というか広場の椅子で待つことに。頭はガンガンと響き、倒れそう。1時間ほどそうしていただろうか。何かが外れた。ちょうど新聞紙を持ってきていたので、目の前の広場に広げ崩れるように寝転んだ。隣に寝ていた現地のビジネスマンらしき人にBe careful your baggage. と有りがたい忠告をもらったので、ぎゅっと荷物を抱き、休むのであった。周りは鉄道を待つ人々にあふれ、その中でぽつねんと寝転がっていた。うん、ボクは大丈夫。21時ころになるまでウンウンとうとうとする。周りは移動する人や子供の泣き声、足音、騒々しいけど、なんだかうれしい。インドにいるんだよな〜
喉も渇いたのでWake Up!水とチップス、ビスケットを買う。なるべく消化の良さそうなものを。23時半頃13240Exがやってきました。これに乗ってVaranasiへ。バイバイ。アーグラ!

  • 5日目 2/29

座席は2Aの2段寝台だったので、かなり快適に過ごせた。夜中はエアコンが効きすぎて寒いくらいだった。体調はなかなか戻らないが、ほどなくして睡魔がやってきた。朝方になると急にもよおしてきたのでトイレへ。初めて列車のトイレに入ったわけだが。。ボットンどころか、走っている線路へそのまま落下するのね。。下が丸見えでした。ダイヤリーアが収まる気配はなく、またもや水分が出て行ってしまった。朝7時くらいに駅員さんにたたき起こされ、何事?!と聞くとどこで降りるんだ?!っとのこと。Varanasiと伝えると、「Sleep well」と言われた。優しい。でもおなかもすいてきたし、Agraの売店で買ったチップスを食べることに。Spanish Tomato Tango味。カレー味もあったけどね。うまい。一気に一袋食べてしまった。コンソメ味にトマト風味を足してあげたようなジャンク好きにはたまらない。座席の周りは小さいコックローチや甲虫が歩き回っていた。もうなんとなく気にならなくなってきた。
時刻は11時を回り、移動時間も12時間を越えた。隣のインド人に聞くとVaranasiまではあと1時間くらいらしい。朝から読んでいた梅棹の自伝を読み続ける。
12時15分に着きました。やはりかなり大きい駅。銃を下げた軍人さんの後ろをついて駅の外へ。人と荷物でごった返している。駅から出ると、やはり日本語で話しかけてくるインド人がいるのだが、彼らをとりあえずあしらってからリキシャー探しでも。日差しが強烈になってきた。気温は25℃くらいかな?心地いい。
なんだか、ぽつねんと待っていたリキシャーと交渉。50ルピー。安いな。OK
まず目的地はガンガーへ。ダシャーシュワメードガードへお願いします!駅から出ようとすると、とんでもない渋滞が。クルマ・オートリキシャー・リキシャー・自転車・バイク・人・犬が入り混じり交差点はカオス。それでもギリギリを通り接触しないなんて信じられない。やっとのことで渋滞を抜けて裏路地へ。リキシャーは道がボコボコであろうと突っ込んでいくので、ボクの体はそのたびに飛び跳ねてケツが痛いこと。Varanasiの街はかなり栄えていて、近代的という意味ではないけれど、アディダスルキアなどの直営店もあれば、大衆的な商店の類の店も数多く並んでいた。特に布地屋さんが多かった。


15分ほどして、ガート付近へ到着。
リキシャーを降りて歩きます。待ち望んでいたガンガーがもうすぐそばにある。少し商店の数が減り、落ち着いた雰囲気の場所であった。牛が2頭並んで菜っ葉を食べながら重そうな腹を抱えて歩く。のそのそ。犬は難儀そうに人々の足元をすり抜け走り去っていく。野菜売りの女性は日に射され、けだるそうに呼び込みをしている。いくらともつかないしなだれた野菜を売っていた。

乾いた大気は水面の上を走り、ボクの体を通過していった。ガンガーへ飛び込む少年。川の中からなにやら物を拾い上げる父親。口いっぱいに川の水を含み、吐き出す老人(バラモン?)午後の日差しを避けるように皆建物の日陰に入り言葉少なに、まどろんでいた。ここへたどり着くために、ここへ来ることこそが今回の旅の終着点なのかもしれない。



お昼は、MEGU CAFEへ。日本人の女性がオーナーのお店で日本食が食べられるのです。親子丼を注文。うーん、うまい〜。しょっぱい。本当に癒された。ご飯はインディカ米なのでパサパサ感は否めないが、そんな文句はもう言えません。



本日のお宿はガンガーフジホーム。日本人の旅行者が4・5人 泊まっていたのでなんだか安心。オーナーは日本語ばっちりで驚いた。

そして街を散策。歩き回って感じたことは、この街が好きになった、ってこと。デリーの喧騒とは違って、混雑しているんだけど、落ち着ける。路地裏の雰囲気も違って、言葉にはしずらいのだが、、ヴィシュワナート寺院までの小道にはお土産ものや布屋さんがびっしりと並び、浅草の仲見世のよう。デリーには失礼だが上品な感じがするのです。真鍮のガネーシャ像やステッカーなどお土産を少々購入。不思議なものがたくさんあるものだ。

とにかく路地を歩き回った。とても楽しい。少し汗もかいて体調がようやく戻ってきたみたい。ヴィシュワナート寺院は信仰の方々が真剣に並んでいるのを見て、今回は入るのをやめた。

近くの売店でコーラを購入。30ルピー。水だけしか飲んでいなかったのでうますぎる!はじける炭酸と糖分がたまらん。
宿に戻って更けた夜の街を屋上で見た。宿の北にはヴィシュワナート寺院の上部が見え、東には音も無く、沈黙を抱えたまま民の意思を飲み込んでいくガンガーが流れていた。


  • 6日目 3/1

目覚める。何時なのだろう。遠くで牛が啼いている。意識はまだどこか遠くで鳴っている鈴の音を追っているようだ。
時計を見ると5時前であることが分かる。朝のガンガーに行こう。NIKON D90を首からぶら下げて宿を出る。















夕方の寝台でコルカタへ向かう。なんて居心地の良い街だったのだろう。


  • 7日目 3/2

翌10時頃コルカタ駅へ到着。

噴煙を吐き多数の乗客を乗せバスが行きかっている。デリーとはまた違った喧騒と混沌の街。



最後のお宿はHOTEL MARIA。バックパッカーご用達。部屋の汚さは想像以上。ラストに相応しい(笑)




エビカレーとチャパティコルカタは海岸に近いので魚やエビのカレーがあった。チャパティがうまい!しっとりしたパイ生地のような感触で、ホクホクしてた。


  • 8日目 3/3

日々は過ぎてゆく。最後の日がやってきた。コルカタから出発するのだ。




コルカタを歩き回り、もう本日が最終日で、ナコーダマスジットを見たので見納め。メトロまで歩く。





何気ない日常が少し寂しく感じる。





デリー to NARITA
席のダブルブッキングが発生し、そしてまさかのエグゼクティブクラスへ移動。よくよく思い出すと、リコンファームしてない・・・ まさか・・・ 確実に席がキャンセルされていたのだろう。コルカタの空港では手違いで発券されてたってこと?危うく日本に本当に帰国できないとこでした。
しかしなんという豪華さ。席が平らになるまでリクライニング。素晴らしい。なんだか最後の最後で妙な貧乏旅行になってしまった。


さよならINDIA!
今回は非常に移動の多い旅となってしまった。もっとゆっくり、ゆっくり回りたかったのだが。


  • 9日目 3/4

朝8時に成田へ着くのでした。あっという間。インドは広大で、及びもしない世界が広がっていた。もっと早い時期に行っていたら、人生観など簡単に180°回ってしまうだろう。それが少しばかり羨ましくもあり、悔しくもあり、妙な実感として心に残る。今しかないのだ。今ではあの匂いも懐かしく、人々の話し声や喧騒が耳から入ってくるようだ。また近いうちに訪れたい。